エッセンス オブ フライ フィッシング & エッセイ オン フライ フィッシング    vol.129「何やら見かけないヒラタ ―― ミチノクオビカゲロウ?」の棲む沢③/竹田 正

2022年08月26日(金)

仙台東インター店


 7月に入り、私は夏の楽しみであるアユ釣りに出掛けるようになった。しかし、シーズンは始まったばかりだというのに、早々にアユ竿を片付けてしまった。未だ見ぬ「新種・ミチノクオビカゲロウ」そのニンフをこの目で確かめたいという気持ちが、日増しに強まっていたのがその理由だった。思いというものは勝手に募ってしまうもののようで、件の沢を再訪する計画を立ててしまうと、居ても立ってもいられなくなってしまったのである。
 ところがその思いとは裏腹に、記録的に早い梅雨明け以来、なぜか雨がちな日々が続く有様だった。大雨で出水が続いてしまうなど、計画していた釣行スケジュールは2度、3度と尽く流れていくのである。もどかしく感じる毎日を送るうち、その釣行計画はとうとう8月にまでずれ込んでしまった。お盆の直前となってようやくそのチャンスが訪れたのだった。
 真夏の8月第2週、スケジュールは2日間。満を持して件のカゲロウとイワナを探すため、一路岩手「ミチノクオビカゲロウの棲む沢」へと向かった――。


 オビカゲロウは日本の本州、四国、九州および韓国に分布するとされ、これまで1属1種とされていた。2021年、新たにミチノクオビカゲロウが記載されるに至り、これが新種として加わった現在では1属2種となっている。
 オビカゲロウは晩春から初夏にかけて、羽化期を迎えるとされているが、南北に長い日本においては寒暖の差などの地域差もあり、高地や東北では6~8月を中心に羽化期を迎えると推察される。これについて、他の水生昆虫でも同様な傾向がみられる事を、私自身経験している。
 そこで、ミチノクオビカゲロウもオビカゲロウと同様の生活史を持つとするなら、羽化期のピークは過ぎ、そろそろ終盤に差し掛かっているものと予想された。また、カゲロウ類はニンフ(幼虫)が羽化してダン(亜成虫)となった後、さらに脱皮をしてスピナー(成虫)となる。その後の寿命は僅か数日間、種によっては数時間程度とされている。従って、今回はスピナーやダンが見つかる可能性はかなり低いと考えられた。
 オビカゲロウに限らず、源流棲水生昆虫の生息地は局地的であり、付け加えればその環境は更に限定されるとなれば、個体群はそれぞれに孤立分布してしまう。従って、絶対的な生息数が多いとは考えにくい。つまり観察可能な条件は厳しく、その機会も極めて少ない事が予想される。
 そこで今回の釣行では、これまでの手掛かりを基にスピナーやダンを探すのは当然として、それ以上に、ニンフとその生息環境の探索に重きを置くこととした。

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 釣行初日。夜を徹して車を走らせてきた。現場への到着は早朝、いつもの通りだった。3時間ほど睡眠の後、しっかりと食事をとり、釣りの支度まで整えると、すでに11時。少々の出遅れ感は否めないが、いよいよ行動開始である。
 周囲を見渡すと、そこかしこにアキアカネが飛んでいた。なかなかお目にかかれないほどの乱舞である。歩き始めると、翅を休めていたアキアカネはばたばたと一斉に飛翔し、こちらが申し訳なく感じるほどに右往左往するのだった。その大群を押し退けながら先を目指した。
 この日の釣行で目指す渓は、人の手による移しイワナなどが入っていないと思われる支流の源流域である。過去に一度だけ、その入り口近辺に竿を出したことがあるが、本格的に釣り上がるのは今回が初めてである。
 まずは山道を利用してアプローチを開始した。歩き始めてから程無くして、歩きやすい山道からルートを外し、本流筋にあたる沢を渡渉して谷筋から尾根筋に取り付いた。シカが付けたであろう獣道を見つけては、時にはそれを辿りつつ、深い谷に沿ってうねる森の中を登って行った。
 酷暑続きの下界と比べて森の中はとても涼しく、気温はせいぜい25℃程度とあり、とても快適であった。しかしそれも束の間、30分程連続で登り続けていると、追い打ちをかけるように傾斜がきつくなってきた。何時の間にか、木につかまりながらよじ登る感じとなっていた。予想以上の展開に参ってしまい、さすがに息が切れてきた。水筒の水を口に含み汗を拭いつつ小休憩を入れていると、涼しげなせせらぎが聞こえてきた。ようやく入渓を予定している滝に近づいてきたらしい。
 もうひと頑張りと気合を入れ直した。この日まで満を持した気持ちがその後押しとなっていた。切れている息を更に切らしながらも登り詰めた。すると立ち並ぶブナやミズナラの隙間から、渓が見え始めた。気付けば沢との落差が数m程となっていた。どうやら当初予定していた滝上の入渓点を過ぎてしまったらしい。
 予定していた滝の直ぐ上に出るため、少し戻って入渓点を探し出すことも考えた。うろうろとするうちに、渓へと降りる塩梅の良い獣道がついているのに気付いてしまった。これを使わない手は無い。少しばかり区間を飛ばすことになるのは心残りではあったのだが、お蔭でさしたる危険も無く、無難に渓へと降りることができた。



 登り続け、ようやく降り立った渓は、涼しく心地良いものだった。火照った体を冷ますため暫しの休憩とするが、同時にロッドも繋ぐ。釣り支度が出来上がれば休憩も終わり。いよいよ釣り上りの開始である。
 この時結んだフライは胸のパッチに刺してあった#12パラシュート。初夏から数多くのイワナを釣ってきたが、この日まで失う事も無く使い倒している。つまり相性の良いフライである。
 釣り上りの開始後程無くして、少し込み入った流れにイワナの姿を見つけた。水深は20cm程とかなり浅い。こちらの気配を気取られないように気遣いながら、そっとフライを落とした。


イワナは躊躇することなくフライを口にした。細流に暮らすイワナであるが、とても良く育っている。大きめの白斑を背部にまで身に纏っていた。良いイワナである。


続けて釣れてきたのは、少なめ大きめ、サイコロ五の目の白斑のイワナ。その左体側と右体側。左体側は五の目の中心点がなければ2列の整列である。このイワナのように、サイコロ五の目に配置する白斑のイワナも整列型として捉えるべきなのだろう、最近はそう思うようになってきた。


整列型を思わせるイワナが来たお蔭で、俄然やる気が出てきた。自ずと集中力も高まる。次々とポイントを探り、テンポ良く釣り上っていく。とは言え、狭い沢のこと。そこら中あちらこちらに張り出している枝や何かに引っかけてしまうのは茶飯事である。そのような時はどうしたってリズムが狂いがちであるが、トラブルは焦らずに解消していく。


背部と鼻先まで白斑のあるアメマスタイプのイワナ。白斑はまずまず大きめ、やや少なめ。お腹はごろごろとしていて、よく食べていた様子。


小沢ではこの規模でも大渕となる。このイワナもアメマスタイプ。

つるつるとした石や岩の表面を観察したり、沈み石や落ち葉をめくってみたり。時々、オビカゲロウも探す。


こちらの気配を消しながらそっと近づき、一段上のヒラキを狙う。かくれんぼである。こちらからイワナは丸見え。真夏の渇水期にありがちな、シビアな反応はまるで無かった。イワナたちは本気でエサを食べたがっていた。


4尾共にアメマスタイプ。ここまでのところ、釣れてきた全てのイワナに着色斑は確認されなかった。どのイワナもエサをよく食べていて、中には食べたばかりのブナムシを吐き出すイワナもいた。せっかく食べたのに、ゴメンよ。


谷筋を滴り落ちる流れがあった。残念ながらオビカゲロウを見つけることはできなかった。一体全体、彼らの棲み処は何処にあるのだろう?


型の良いイワナを元の棲み処に帰し、沢を見上げた。視線の先には、蛇行して落ちる急峻な流れがある。まだまだこの沢の終わりは見えてこない。時計の針は15時をとうに回っていた。そろそろ退渓を考えなければならない。時間はあまり残されていないが、もう少しだけ、釣り上ってみることにした。


通常のキャストが厳しいところでは提灯釣りをしてみたり、弓矢投げをしてみたり。あの手この手でイワナを誘い出す。


釣り上りを始めてから既に4時間が経過した頃。遠くの視界を遮っていた周囲の尾根は低くなり、見上げる空は広がり始めた。釣り上がってきた方向へ振り返れば、揺れる木々の向こう側、視線の高さより下に青空が見え隠れしていた。

 
 
山頂付近に大分近づいてきた様子で、いよいよ流れは「か細く」なってきた。沢の源頭はまだここから200~300m先になりそうであるが、この先にもイワナの棲み処は続いていることだろう。心残りではあるが、とうとう時間切れである。このイワナとの対面を最後とし、竿を畳むことにした。


この景色を目に焼き付ける。今日はこの場で引き返すが、いつの日にか更に上流を目指したい。その時はもっとゆったりとイワナ釣りと渓歩きを楽しもうと心に決め、沢を下る準備を始めた。

 現状と地形図を併せて確認すると、釣り上りを始めた入渓点からの距離は、水平で400m程度、標高差は凡そ100mとの見立てになった。ざっくりと言って平均勾配25%である。日常の生活で昇り降りする階段はもっと勾配がきついが、特に怖いと思わない。それは階段だからである。
 退渓開始の時、改めて今しがた登ってきた沢を眺めた。久しぶりに味わうこの感覚、素晴らしい眺望だった。けれども少し身震いがした。夢中で釣り上がっている時には気にもしていなかった。この川通し、戻りはキツイぜ……。


 さて、残念ながらこの日は目的のオビカゲロウを見つけることはできなかった。一方で、釣れてきたイワナは20尾全てが、大きめの白斑を持つアメマスタイプだった。細かい白斑を全体的に纏うイワナは出現せず、着色斑を有する個体も確認されなかった。
 滝に阻まれ互いに交流することなく、その上下でイワナの雰囲気が異なる例は、これまでも経験している。
 このイワナたちは限られた狭い流域で世代交代を繰り返し、太古より受け継ぐその遺伝形質を保ち続けているのだろう。生粋のネイティブ、天然のイワナたちだけが持つ血筋が強く感じられた。その中に整列型の要素を持ち合わせている個体がいたことも、実に嬉しい事実であった。

vol.130へ続く……
THE ESSENCE OF FLY FISHING & THE ESSAY ON FLY FISHING vol.129/ T.TAKEDA

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