エッセンス オブ フライ フィッシング & エッセイ オン フライ フィッシング    vol.130「何やら見かけないヒラタ ―― ミチノクオビカゲロウ?」の棲む沢④/竹田 正

2022年09月09日(金)

仙台東インター店


 予想通りに、川通しの退渓は手厳しいものだった。釣り上ってきた沢を下るだけとは言え、言葉ほど単純ではない。当然のこと、登ってきた場所が同じルートで降りられるとは限らず、足の置き場に気遣う急勾配の岩場に加え、今回は沢に横たわる倒木や落ちている枝が実に厄介だった。思わぬところで枝が脚に絡み付いてしまうのだが、これに捕らわれると転倒や滑落をしかねない。つまり、常に気が抜けないのだ。下りのリズムも安定しない。やはり、一日を通してのペース配分と、無事に帰着するまでの気力・体力の温存は大切であると、今更ながら痛感したのだった。

 帰着すると、脚腰はパンパンに張り、足のつま先や脛、膝など、あちらこちらが痛いことに気付いた。疲労と脱力感で、晩飯の準備どころか装備の片付けすら、暫く手が付かなかった。
 さしあたってすることと言えば、冷えたビールをぐびりとやりながら、やれやれとチェアに腰を下ろすこと。渓を歩いていると、暫し座っている暇など殆ど無い。強いて言えば昼飯を食べる時くらいのものである。
 気の向くままに、ぐびぐび~と喉を潤し一息ついたところで、ようやく靴紐を解きブーツから足を抜いた。タイトなブーツからの解放感に安堵し、次いでウェーダーを脱げばそよぐ風も感じられた。次第にほろ酔い加減となり、カエルやセミの鳴き声が心地良く響き始めた。大いにリラックス、つまり脱力状態である。何事もやりきった後の充足感は良い気分、無事に帰ってきたからこその心持ちである。

 辺りはまだ明るかった。これからイブニングライズを狙い、すぐ目の前の流れでもうひと釣りするのも悪くない。そうなのだけれども、今日は行かない。「もう十分楽しんだし、ウェーダーはもう脱いだのだ」そう思うと、渓歩きの疲れを癒す時間はゆったりと流れ始めた。   
 ぼちぼち夕暮れとなってきた頃、ようやく、晩飯の支度に手を付けた。飲んでばかりいてはそれこそ、がっちりと根っこが生えてしまう。しっかり食って、ほどほどに飲む。時間をかけて疲れを癒すとともに翌日の為の鋭気も養う。
 今日を顧みたり、翌日の計画を検討してみたり、睡眠中に攣ってしまいそうな気がする足を揉んでみたり。暗い森の中でまったりと脱力を愉しんでいる。その割には何かと忙しないのだが、道具の準備と朝飯の支度を済ませつつ、明日への思いを馳せながら眠りに就くまでの一時を過ごした。釣るばかりではなく、このような時間をもっと大切にしたい。勿論、ランタンの明かりを落としたその直後、腹が満たされ満足した体は泥のように眠りに落ちていくのである。

関連記事リンク vol.129

翌朝、釣行2日目。気分爽快、良く寝た。朝食もがっちり食った。これなら目一杯動けるぜ!という自信が湧く。今朝のゲストは「フタスジモンカゲロウ スピナー♂」だった。この辺りでは7月中旬頃から羽化期に入り、良く見かけるようになる。美しいカゲロウだなあ。いつ見てもそう思う。アキアカネもたくさん飛んでいた。


この日は6月中旬にミチノクオビカゲロウと思われるダンを現認した沢へ向かった。探索の続きとしてその上流域に入渓することにしたのである。過去にそのスピナーを現認した他の沢や、未踏の支流も幾つか残されているので、それぞれが気になるところ。だがしかし、先ずはこの沢の探索を優先すべしと考えた。ミチノクオビカゲロウを探しながら、つらつらと登ってきた。10時頃には竿を繋ぎ釣り上がりを開始した。


1尾目のイワナが釣れてきた。白斑は大きく多め。フライに対する反応が鈍いのか、迷いながら喰いついているのか。つまりはその行動に微妙な印象を受けた。


次に来たイワナはバラしてしまった。やはり#12パラシュートでは食いが浅いように感じられた。そこで夏の定番であるライツロイヤル#12に結び替えてみた。すると、しっかりと鈎掛かりするようになり、テンポ良く釣れ続いた。3尾ともに着色斑は無しのアメマスタイプだが、前日に入渓した沢のイワナと比べてやや小白斑が散在している印象がある。


白斑の輪郭がややぼやけているが、良い雰囲気のイワナ。背部まで大きめの白斑が並ぶアメマスタイプ。やはりライツロイヤルに鋭く反応してきた。


白斑はやや小さめ、小白斑も散在するタイプ。


クロスバー、好ポイントである。ファーストキャストのパラシュートで誘い出せたものの、喰いつきが甘く取りこぼしてしまった。時間をおいてから、フォローにライツロイヤルを送り込むと、バッサリと喰いついた。この反応の違いを如何に捉えるかが、経験の蓄積である。白斑はやや小さめ、小白斑が散在するタイプ。


この沢ではこのような白斑を持つ個体が多い印象あり。小白斑が混じる標準的なアメマスタイプ。


倒木の下にフライをくぐらせ、落ち込みの白泡に落とした。狙い通りに食いつかせたまでは良かった。フッキングするや否や、イワナは石の下に潜り込んだ。まるで根掛かり、こうなると手繰り寄せることができない。倒木をくぐって迎えに行ってみると、イワナはまだ鈎掛かりしていた。綱引き状態で石の隙間から引きずり出せた。このイワナは大きさの揃った小さい白斑が綺麗に並んでいた。しっとりと落ち着いた感じ、麗しいイワナだと思う。


おや?これは!と思った個体。白斑は少なめでやや小さめであるものの、大きさが揃いサイコロ五の目である。


やや小さめの白斑が揃っている感じ。


白斑の配列にリズム感があり良い雰囲気。


大白斑に小白斑が少し混じる、標準的な感じ。


オビカゲロウを探していたらミヤマクワガタを見つけた。


一瞬、パラパラっと大粒の雨が落ちてきた。このイワナを釣ったところで、すぐに竿を畳んだ。空模様が怪しく思えたのである。釣れてきたイワナは大きめの白斑で若干ランダムな配列だった。


雨は降ったり止んだり。まだほんの小降りだったが、夕立を予想して急ぎジャケットを着た。蒸し暑いのだけれども暫しの我慢。ロッドをバックポケットに仕舞い込み、退渓用のグローブを装着した。ふたつの落ち込みが絡んでいて、いかにも釣れそうなポイント。これを目の前にしながらの、退渓準備。むむむ……残念。けれども、潔く、素早く撤収。近頃は、「ほんの夕立」とは言えない降り方をすることが多く、はっきり言って怖いのだ。


 順調に下れたとして帰着まで40分程度、その距離は約1500m、標高差は約130m。傾斜は緩い方であるが、暫くは川通しと藪の突破を繰り返す。山道跡まで届きさえすれば、その後は楽な行程で言うなれば安全圏に入る。
 下り始めて数分、藪をかき分けている間に雨足が強くなり始めた。「これは来るか」と思っていると案の定、更に激しさを増してきた。この雨の降り方では急な増水もあり得る。対岸側の山が切れて山道に繋がるポイントに早く辿り着きたい。しかし焦りは禁物、ただでさえ滑りやすい足元は雨に濡れ、足早にするほどズルズルと滑るのだった。
 退渓開始から30分程経っただろうか、雨は容赦なく降り続け、すでに土砂降りとなっていた。少しばかり焦りを感じていた頃、山道跡が見えたときは安堵した。気付けば汗なのかそれとも雨なのか、ジャケットの内側はびしょ濡れで、とても不快だった。「もうあと少し、10分か15分くらいの我慢」と思いつつ山道跡を下り始めた。

 安全圏に入ったことで不安な気持ちが和らぎ余裕が生まれたのか、山肌から流れ出してくる湧水が目につくようになった。いくつかの湧き出す流れを通り過ぎた時、花崗岩質の平らな大石に目が留まった。その大石は小さい座布団ほどの大きさだった。水量は僅かではあるが、雨のお陰か、水は勢い良く滑るように大石の表面を流れていた。大石の端の方は苔が生し、垢か泥か、何かで汚れているが、つるつるに磨かれて光っている部分があった。吸い寄せられるように近づき、その大石を覗き込んだ。

 先ずは大石の表面、続いてその上手に被さる石、流れを辿りながら周囲の岩盤や周囲の落ち葉の裏などを探索していった。ピンとくるような勘が働いたのにも拘らず、何の手掛かりも見つけることができなかった。
「ここもだめか……」そう思いながら振り返ると、つい先刻に確認したはずの大石の上を、黒くて小さな何かが動いた気がした。
「いる!いる!何かいる!」
見間違いではなかった。単なる確認不足だったのだ。明らかにカゲロウのニンフ、良く見ると数匹が左右に素早く動いている。しかもその脚は短く太いように見えた。胸が高鳴った。
 逃すまいと、慌てて左の掌と指でそれを取り押さえた。しかし、右手の指でそれを摘まみ取ることができない。そうこうしているうち、気付けばなぜか落ち葉で掬い取っていた。落ち葉に載っているのは紛れもなくオビカゲロウに見えた。一気に嬉しさがこみ上げてきた。
 早くその結果が見たい気持ちをぐっと堪え、1匹目をシャーレに移す。取って返して2匹目の採集にとりかかる。考えていたよりも目視しにくいのは、落ちてくる雨の雫のためか、それとも老眼のせいなのか。兎にも角にもティッシュペーパーで柔らかく囲い、落ち葉で掬い取った。更に追い回しているうち、2匹の小さなニンフがティッシュペーパーに吸い付いてきた……。
 カメラの画像モニターに映るその姿は、明らかにオビカゲロウの特徴を捉えていた。念願が叶い、ついに見つけることができたのである。


ヒラタカゲロウ科の他種に比して脚が短めで太めのバランス、尾は2本、腹部背面体節正中線上の棘、腹部第1節2節の糸状のエラが葉状エラよりも際立っている。更に他のカゲロウが生息し得ないような特殊な場所に生息していた。これらの特徴を鑑みてオビカゲロウのニンフであることに間違いはないだろう。また、これまでの経緯から、新種「ミチノクオビカゲロウ」である可能性が高いと思われる。図鑑等で見るオビカゲロウのニンフと比較して、採集したニンフは脚がややほっそりしている印象がある。これはミチノクオビカゲロウの特徴なのだろうか。採集したニンフは体長8~12mm程度とその大きさに個体差があり、成長の度合いに幅があるようだ。オビカゲロウは終齢となるまでに2年かかるという。今回は4個体のみの採集としたが、時間をかけ丁寧に探せば、さらに小型のニンフも見つかるだろう。なお今回採集したニンフは撮影後に全て元の大石に帰した。

 今回ニンフを採集した際、生息に必要な流速や石の表面の状態など、オビカゲロウはヒラタカゲロウ科の特徴を持っている印象を強く受けた。オビカゲロウの生息には1cm以下、おそらくはもっと浅い数mm以下の流水を必要とするものと思われた。観察した印象ではこれでも流されないものなのかと感じる程の早い流速であった。ニンフが石の表面のアカを食べているためか、それとも流水のためなのかは定かではないが、ニンフが吸着していた部分は石が磨かれている印象があり、今後の探索時には良い目印になりそうである。

 これまで私は「帯紋のあるオビカゲロウのダンおよびスピナー」を目にしたことが無い。東北ではその存在が不確かで、つまり情報不足のため、私が釣り歩く河川でも「帯紋のあるオビカゲロウ」の生息状況も調査する必要を感じた。他にも気になる疑問点や今後も確かめたいことが数多くある。
 さて、これで「ニンフ、ダン、スピナー」と、オビカゲロウの各成長段階を現認したことになる。ひとまず件の沢は「ミチノクオビカゲロウの棲む沢」である確度が格段に高まったと言えるだろう。



以前現認した「前翅に帯紋の無いオビカゲロウ」――「ミチノクオビカゲロウ」のスピナーおよびダン ともに♀ 

 現在から時を遡ること約3億年前の遥か遠い昔。古生代石炭紀後期の化石にカゲロウと考えられるものが発見されており、その化石が翅を持つ昆虫として最古のものであることから、今のところ有翅昆虫の祖先はカゲロウではないかと考えられている。その後、恐竜が隆盛を極めたジュラ紀・白亜紀の中生代となり、氷河期の訪れと哺乳類が台頭する新生代を経て現在へと至るが、その間幾度となく地球規模の大量絶滅が繰り返し起きている。現存するカゲロウ類はその危機から逃れ、原始的な昆虫の姿を今に伝える存在と言えるだろう。

 オビカゲロウの祖先は新生代、今から約2000万年前に分岐したとする最新の研究結果も報告されており、折しも日本列島の原型が形成され始めたとされる時代でもある。イワナの祖先の出現と分岐(約1000~600万年前、それ以降)においても、その背景が重なってくる。
 日本列島の土台部分はユーラシア大陸の東の端にあり(2000万年以前)、その後の地殻変動により、現在の三陸北上山地を含む北東日本の土台は大陸から離れて島々となり(奥羽山脈などはまだ海底)、一方で西南日本は大陸と陸続きに分離(約1500万年前)、氷河期が衰退を迎えた頃(約1~2万年前)、火山の噴火や隆起といった大地の変動を繰り返しながら、ようやく現在の形に近い日本列島になった、と考えられている。

 さて、この森に棲み脈々と命を繋いできたオビカゲロウは、「地質時代の生き証人、まるで生きている化石である」と言ったら、これは言い過ぎだろうか。有名どころのシーラカンスやカブトガニには敵わないけれども、地質時代とカゲロウとイワナ、その関わりを想像すると心が躍るのである。何故かと言えば、恐竜やアンモナイトなどの古生物に思いを馳せた子供の頃が思い出され、ワクワクした気持ちが蘇るからである。
 釣りはそれだけでもとても楽しいもの。釣りを通じて五感に感じられる自然とそれらにまつわる出来事はロマンである。宝探しはまだまだ続く。彼らの棲み処が失われないことを切に願いつつ、釣竿を手に渓を歩こうと思う。豊かな自然と森の恵み、オビカゲロウ発見の幸運に感謝!ありがとう!


THE ESSENCE OF FLY FISHING & THE ESSAY ON FLY FISHING vol.130/ T.TAKEDA

← 前記事 vol.129   目次   次記事 vol.131 →
ページトップへ