エッセンス オブ フライ フィッシング & エッセイ オン フライ フィッシング    vol.141 第22回寒河江川鮭有効利用釣獲調査 2023/竹田 正

2023年11月17日(金)

仙台東インター店


 少年の頃の私にとってサーモン・フィッシングは夢と憧れの対象で、それこそ遠い世界のことだった。漫画家矢口高雄の代表作「釣りキチ三平」で描かれたストーリーのひとつに「カナダのサーモンダービー」がある。この章の他にも魅力的なストーリーは枚挙にいとまがないのだが、それらの中でも特に「カナダのサーモンダービー」は1・2位を争うほどのお気に入りのひとつで、ひとコマひとコマを読み解くように幾度も読み返したものだった。また、その舞台となっていたバンクーバー島周辺の海峡はサケ類の宝庫であり、世界屈指のスポーツフィッシングの本場として、TV番組や雑誌等で度々紹介されるのだった。これらを目にする度に、溜息が漏れると共に相当に胸を熱くしたことを、今でも良く憶えているのである。


サケは川と共に生きている―――
 カナダ西海岸ブリティッシュコロンビア州では、1900年代の初め、豊かな森林資源を運搬するため、道を切り開いたり鉄道を敷いたりするなど、大規模な開発が進んでいたという。そのため、バンクーバーでジョージア海峡に注ぐフレーザー川では河川環境が激変したことにより、産卵のために遡上するサケは大打撃を受けることとなった。その当時、サケに限らず、そこに棲む生き物たちが開発によって相当な影響を受けたであろうことは、想像に難くない。
 1960年代に入ると、環境の改善や繁殖を促す為の様々な働きかけが功を奏し、危機に瀕したフレーザー川にサケが遡上することとなった。その結果資源量は回復に向かったという。
 日本では1970年代には大気汚染が進み、水質の汚濁や自然破壊など、経済成長に伴う環境問題が各地で引き起こされていた。
 その頃、札幌を流れる豊平川では河川環境の悪化が進み、秋になれば当たり前のように帰ってきていたサケがいなくなってしまった。1978年、このことを憂いた人々により、「失われた河川環境を取り戻し、サケを呼び戻そう」とする市民運動が始まったという。
 この運動が先駆けとなり、「カムバック・サーモン」のキャッチフレーズと共にその輪が全国に広がっていった。折しも私が釣りキチ少年として育ち盛りのタイミングであり、生き物や自然に興味を深めていた頃であった。当時TVのCMでは「カムバック・サ~モン!カモン、カモン……」のフレーズが流れ、その力強い歌声とメロディーは今なおこの耳に残っているのである。
 今こうして当時の時代背景を鑑みると、自然の豊かさを指し示すバロメーターとしてサケを捉え象徴としつつも、サケのみならず自然破壊と環境の悪化を問題提起すると共に環境の回復と保全を訴えた、世界的な大キャンペーンであったのだと思う。私自身もそうであるように、半世紀近く経った今日でも、その精神は社会的にも各地で受け継がれ、存続し続けていると感じるのである。


大切に守られてきたサケ―――
 日本国内の河川において、母川回帰したシロサケは水産資源保護法および内水面漁業調整規則等により保護の下にあるため、一般には許可なくして採捕(釣ったり捕えたり)することが禁じられている。
 川沿いやその地域に暮らす人々にとって昔も今も、サケは重要な食糧であり財産でもある。そのことは、平安時代にまで時を遡るというサケを大切にする伝統行事が現存することや、江戸時代、新潟県三面川では1750年頃すでに、サケの人工的増殖を目的として、産卵場となる川の造成等を行う保護政策「種川の制」が始まっていた、という歴史等からも窺い知ることができる。
 つまるところ、産卵のために回帰した親魚を守り増殖するという考え方は今に始まったことではなく、古より自然を享受してきた文化に根ざしてきたものと、認識して良いと思うのである。


サクラマスとカラフトマス、共にメス。日本に回帰するサーモンはシロサケだけではない。

 日常的には「サケ」と言えばシロサケ(チャムサーモン)を指すが、他にも日本の川に回帰して産卵する、サクラマス(マスサーモン)やカラフトマス(ピンクサーモン)も生物学的に「サケ」である。また、北海道阿寒湖などの湖に生息するヒメマス(コカニー)はベニザケ(ソッカイサーモン)の陸封型である。
 「サケ」とそれ以外のサケを区別し「マス」と呼ぶ古くからの習慣がある。例えばベニザケをベニマス、ギンザケをギンマス、キングサーモンをスケマスやマスノスケなどと呼ぶ。サケであるにも拘らず、それぞれの名前にはサケではなく「マス」と入っているため、少々ややこしい。
 なお、北海道ではシロサケと同様に河川に遡上したサクラマスおよびカラフトマスも保護の対象であり、一般の採捕は禁じられている。


旅立ち、これから海を目指すシロサケの稚魚たち。

 命を受け継ぎ生まれ出でたシロサケは、生まれた場所に留まりながら厳しい冬を越し、春には数センチほどに成長する。雪解け水が入るころになると、これに合わせて川を下り始めやがて海へと旅立っていく。その後日本近海から北を目指し成長を続けながら、オホーツク海からベーリング海、更に遥か遠くアラスカ湾まで大海原を旅する。日本を旅立ってから3~4年、長いものでは6年もの歳月をかけた大回遊の末に命を繋ぐため、川のにおいを頼りに生まれ故郷の川へと帰ってくる。その間、わずか数グラムだったその体は数キログラムまでに成長する。
 少なくとも現在から10数年以前であれば、春先にサクラマスやヒカリ釣りをしていると、岸際の膝ほどの緩い流れのそこかしこで、きらきらと銀鱗を輝かせる群れを見かけたものだった。しかし、環境の変化の為であろう、ここ10年はその姿を見かけることが本当に少なくなっている。


川でサケを釣ること―――
 1995年、北海道忠類川においてサケマス有効利用調査が行われることとなった。それは一般の釣り人が川へ遡上したサケを釣ることを認める施策として、日本初且つ大いなる試みだった。特別採捕の従事者として釣り人が資源調査に携わるという形式を取りながらも、これにより遂に「日本の河川でサーモン・フィッシング」が事実上可能となったのである。
 それまで川でサケを釣るということは、一般の釣り人には叶わない特別なことであった。それが故か、この取り組みの成功が皮切りとなり、関係各所の努力もあって、次第に各地の河川で鮭有効利用釣獲調査が行われることとなった。そして山形県寒河江川では2002年よりこの調査が始まり、現在に至っている。


私にとって憧れの対象だったサーモン・フィッシングが、季節を感じられる旬の愉しみとなってから、早20年余り。これまでに寒河江川の釣獲調査に参加して出会うことができたオスのチャムサーモンたち。力尽きる事無く、よくぞここまで帰ってきたと思う。その姿からは長旅を経て帰ってきた野生の凄味とともに畏敬の念のようなものを感じてしまうのだ。


こちらはメス。個体差はあるがオスに比べて一回り小さい感じである。オスとメスでは体格や顔つきに違いがある。体側に浮かぶ婚姻色も、オスはその色合いがより複雑な感じで赤みが強く大胆な紋様であるのに対し、メスはやや落ち着いた色合いと紋様を備え黒帯が際立って見える印象を受ける。メスはメスらしい雰囲気を持ち合わせているが、それでもそこにはやはり、野生の香りを感じるのだ。


これまでにチャムサーモンを誘ってきたフライたち。川を遡上してきたチャムサーモンは産卵期を迎えエサを摂ることが無い。そのチャムサーモンをフライフィッシングで釣る。赤系統、オレンジ~レッド~ピンクを中心に巻き上げるのが基本となる。時にはパープルやブラック、ホワイトが抜群に効果を上げることもあった。


今年も回帰遡上は遅れ気味?―――
 10月の下旬、鮭有効利用釣獲調査に参加するために寒河江川を訪れた。この日、夜明け前の気温は6℃だった。この秋は10月に入ってからもいつまでも夏の名残を感じているという、何ともおかしな季節感であった。ところが数日前には月山など山沿いにさらりと雪が降るなど、ようやく秋の訪れを肌で感じるようになっていた。天候は曇り時々雨、気温はあまり上がらない予報が出ていた。
 まだ薄暗い中にも拘わらず、いそいそとタックルを組み上げつつ身支度をしていると、東の空が白み始めた。釣獲調査参加の受付を済ませる頃には辺りはすっかりと明るくなり、川の流れ全体を見渡せるようになっていた。その時、川の様子はやや渇水気味と思われたのだが、飛沫を上げ浅瀬を勢い良く遡っていくチャムサーモンを目にすることは無かった。川上に眺望できるはずの月山は厚い雲に覆われ、朝日を浴びるその姿を拝むことも叶わなかった。

 6時、釣り開始の合図とともに川岸に降りると、ふた筋の瀬が流れ込む淵へと向かった。強めに流れる右岸側の瀬は人気のポイントで、すでに多くの釣り人が並んでいたのだが、その下手の緩い流れには釣り人の姿は無かった。
 ふた筋の瀬から続く流れは重なり合い、Vの字となって淵へと繋がっていた。そこには程好い波立ちがあり、筋の幅と流速、更に水深も、フライを流すのに塩梅が良さそうに見えた。この場を立ち位置と決め、キャスティングを開始した。

 例年であれば、釣りが開始されると間も無くチャムサーモンを掛ける釣り人を見かけるものなのだが、この日は様子が異なっていた。上流を見ても下流を見渡しても、竿を曲げている人は見当たらなかった。チャムが遡上してくると感じられる川のにおいも無ければ、勢い足にぶつかってくるチャムも居なかった。
 東北各地の水揚げはどのような状況なのか日々市況を確認していたのだが、日本海側太平洋側共々に芳しいものではなかった。懸念していた通りに回帰が少ないのか、それとも遡上が遅れているのか……、状況は厳しいものに思えた。

 フライを流し始めてから30分近くが経った頃、目の前で勢い良くチャムサーモンが跳んだ!突然のことだった。
「おおっ!いるじゃないか!でかいのが!」
ここまで、これといった気配を何も感じていなかった。急激に胸が高鳴った。
「すみません!掛ってま~す!」と上手から声が聞こえてきた。
振り返ると、お隣の釣り人がファイトの真っ最中である。つまり、鈎に掛かったチャムは私の目の前で激しい抗いを見せ、派手な飛沫を上げていたのである。
「いいな~、頼むからオレのフライにも来てくれよ……」
上手の釣り人がランディングするまでの間、そのやり取りを眺めながらランニングラインを手繰っていると、右手中指の先に微かな変化が伝わってきた。もわっと、何かがフライに触れてきた感触だった。
「今のは怪しい、群れが来ている?」
今しがたのファイトを見せつけられたこともあり、気合と緊張感は十分に高まっていた。ビシッと決まるキャストを繰り返すこと数回、ついに明確なアタリがやって来たのである。岸側にロッドを大きく倒し込みラインを張ると、水面がどばっと炸裂し飛沫が上がった!リールは逆転し一気にラインが吐き出された!


強烈な手応え!これはデカイかも!と久しぶりの感触を味わいながら、じっくりと楽しみながら寄せてきた。待望の1尾目は抜群のコンディション、推定6kg弱、全長85cm。肌艶の良い美しいメスだった。お腹にはたっぷりと卵を抱いているのだろう、滑らかで豊かな魚体がとても印象的だった。チャムサーモンのメスでこのサイズは立派である。腕に抱きかかえるようにすると、どっしりとしたふくよかさを感じると共に愛おしさがこみ上げてきた。撮影しつつその容姿に見惚れていると、力強い尾で掌を一蹴し、流れの何処かへ行ってしまった。


 感動的な1尾目との出会い、その余韻に浸りながらもフライを流し続けていると、またしてもアタリがやって来た。気が抜けていたのか、びくりと反射的にアワセてしまった。当然のように、簡単にバレてしまった。上下流を見てみると、下手の方でファイトする釣り人の姿が見え始めていた。
「やはり、今が時合い」と、そう確信した時、スイングするフライを抑え込むような独特な感触の、良いアタリが来た。アワセが決まるとチャムはジャンプを繰り返した!


2尾目は素晴らしいスピードで華麗なジャンプを見せてくれた。ネットを差し出せば何度も激しく抵抗するのだった。3kg弱、73cm、これもまた艶やかで美しいメスのチャムサーモン。鈎は下顎外縁に薄掛かりで、ジャンプが得意だったこのチャムには危ういフッキングだった。フライは「ラビットファー・マツーカ」 25mmのカッパーチューブに巻き上げ、水馴染みと沈みを良くしたもの。


 7時を過ぎた頃、流れに沈んでいた石が顔を出し始めていることに気付いた。これまで底をギリギリかすめるようにフライを流していたため、僅かに流速が遅くなるだけで、底掛かりが頻発するようになっていたのだ。
 ひとまずは2尾との出会いがあり、朝の釣りは満足。ここいらでひと区切りつけるか~と、ロッドを置いて小休止とした。
 軽食を取りながら、鳥たちの朝のコミュニケーションに耳を傾けていた。ピーチクパーチク、キャラキャラと、川辺の鳥たちが忙し気で騒がしい。スカッと秋晴れとはいかなかったけれども、風もなく穏やかな曇り空だった。雲が流れ、朝は見えなかった月山も、雪を抱く様子が見え隠れしていた。思っていたよりも寒くは無く、気持ちの良い朝だった。
 ぽやぽやと川の様子を眺めていると、産卵床を掘るための場所探しだろうか、下流のカケアガリ付近の緩い流れにチャムたちが集まり始めているようだった。

 おもむろに釣りを再開したものの、気付けばすでに朝の時合は過ぎてしまったようで、自分の立ち位置では、すっかりとアタリが来ることがなかった。それから更に2時間、ひたすらにフライを流し続けた。
「こうもアタリが遠のいてしまうとは……」大物狙いの釣りでは当たり前であるが、慣れている事とは言え、いい加減に集中力も途切れ途切れとなる。ちょいと腰を下ろし一服することにした。
 この状況、もし、釣りをしない通りすがりの人が傍から見ていたとすれば、「面白いほど釣れ過ぎて、止められないんか。こりゃ、よっぽどだな……」となるか、はてまた暫く眺めていた人からすれば、「釣れもしないのに何時間も良くやるよ、暇人はこれだ……」という呟きが聞こえてきそうな、空を手繰るような時間帯だった。

 ぼんやりと景色を眺めながら2尾目が釣れた時のことを思い出していると、次第にこの状況の打開策のようなものが、もやもやと湧いて出てきた。
 予想以上に遡上数が少ないこと、それでもここまでに幾つか逃してしまったチャムたち、これまでのフライに反応してきたチャムたちの仕草、僅かな時間で急激に水位が落ちてきたこと、雨が落ちてきそうな曇り空……等々。
「もしかすると底を狙い過ぎなのか?むしろ表層をスイングするフライに、チャムは興味を惹かれているのではないか?もしかすると、もしかする。試してみるか……」

 フライボックスを開けて見ると、片隅に鎮座するフライが目に留まった。ツインテールムックと名付けていたそのフライは、軽いプラスティックチューブにウサギの毛皮を分厚く巻き、尚且つ笠までもかぶらせていた。緩いテンションでもできるだけ沈むことなく、表層をふわふわと泳がせること求めたものだった。まるでオバケのキャラクターのような見た目の、とてもではないが美しいとは言えない雰囲気の、ヘンテコなフライである。
 このフライは知床の海岸での波打ち際、あるいは山形県月光川や福島県請戸川、木戸川など河口域の砂底で流れの変化に乏しい釣り場、それらで釣ってきた経験を基に巻き上げたものだった。
 これまでにこのフライを使う機会は廻ってこなかったが、今回その効果を試す好機が訪れたということである。

 ポイントの流速、キャストの位置からラインのあしらい方、その後に続くフライの流し方など、全体のイメージがまとまってきたところで即座にツインテールムックに結び替え、川岸に立ち戻った。
 先ずはキャスト準備のためラインを繰り出した。ラインを伸ばすための予備キャストとして正面にロールキャストを打ち始めた。これを2~3回繰り返しているその最中、不意にロッドがひったくられた!


唐突にロッドを奪っていく強烈なアタリ、続いてチャムは一気に走り出し、そのままフッキングが完了してしまうという顛末。残念ながら、思い描いていた釣り方のイメージとは程遠いものであったのだが、沈み過ぎず動きの良いフライに効果あり?という手掛かりは得た。このチャムも元気一杯で、リールはラインを何度も吐き出した。ランディングでは2度踵を返し、3度目にしてネットに迎え入れたのだった。3kg強、75cm、3尾目との出会い。またもや肌艶の麗しいメスだった。


 11時頃になると、時折降る雨の仕業か、余りにもアタリが続かない為なのか、岸辺に立つ釣り人の姿が減って来た。お陰で立ち位置を上流側へ移すことができた。これで塩梅の良い流れにフライを流せるようになった。

 流れが重なり合いV字となって波打つ流心、その少し向こう側にフライをキャストした。着水直後上流側へラインをメンディングした後、ロッドの先を下流へ向けつつ一呼吸分ラインを下流へと送り込む。すかさずランニングラインをゆっくりと大きくひと手繰りしながら同時にロッドを上流側へ返す。ライン先端のターンに続いて、じわじわとラインを張り加減にしながらスイングを開始した。するとフライが泳いでいる辺りで水面が大きく波打った。
「チャムがフライを追っている!」と直感するや否やどばっと水面が炸裂し、大きな飛沫が上がった。
「来たか!?」
直後、ドスっという衝撃とともにロッドが絞られた。こちらのイメージ通りにチャムがフライを咥え込んでくれたのだ。チャムは下流へ走り始め、同時にリールはラインを吐き出す。
「朝の1尾目と同じくらいありそうだ……」
走りが治まり加減となった時、逆転するスプールに手を添え、チャムの重みをロッドにジワリと乗せ、フッキングを完了した。

 ここから強烈なファイトが始まった。時折ジャンプを繰り返しながら下流へと走って行くチャムサーモン。ドンドンドンとチャムの躍動がロッドを通して伝わってくる。暫くすると体の向きを変え、こちらに頭を向け始めた。時折下流へと走りながらも、流心を遡ってくる。ロッドの曲がりを維持しながら、こちらに向かって泳いできた分だけリールを巻き、少しずつ間合いを詰めていく。いよいよランディングのポジションに持っていこうと川に立ち込み、試しに強いプレッシャーを与えてみると、大暴れを繰り返すのであった。
「朝イチと同じで、このチャムもでかい!」
なすがままに暴れさせていても、このままジワジワとプレッシャーを与え続けたとしても、限界に達すればいずれバラしてしまう。そうなってはこの手で抱くことができない。ファイトの最中にツインテールムックは見えなかった。すっぽりと口の中に納まり、しっかりとフッキングしている。動きのタイミングを見て、一気に勝負に出た!


更に2、3回浅瀬で暴れさせ、一気にランディング態勢に入ってみた。するとガガッと鈎先が滑る感触がした。チャムの口先にフライが出てきていた。ラインが一瞬でも緩めばバレテしまうだろう。このままランディングネットで掬うのは難しいと判断し、ロッド1本分ほど陸に上がった。これまで使いこんできた愛竿を信じ、バットからタメを効かせて思い切りロッドを絞った。川岸の石と石の隙間に頭が滑り込むように引きずり込み、無事にランディングした。抜群のコンディション、5kg、叉長75cm、全長80cmのメスだった。このチャムとの出会いで気持ちは完全燃焼し、納竿とした。


 今回、出会うことができたチャムサーモンは4尾、全てメスだった。皆とても美しく麗しく、滑らかな肌艶が印象的だった。
 釣りを終えてみると、この秋も回帰の時期が遅れている様子だった。想像するに、この日は最上川の河口から数日内で一気に遡ってきた、元気一杯の群れが入って来たタイミングだったのだろう。結果的にはそのお陰で、フライに対する反応も良くエキサイティングなフライフィッシングを楽しめたのだと思う。しかしながら、近年気に掛かっている遡上数の減少、これについては、今回の釣獲調査でも肌で感じたのであった。


 統計によれば1996年頃をピークに、それ以降は資源量の減少傾向が続いている日本のサーモンたち。不漁が続くようになり、各地で資源回復を目指した動きが再び活発化してきているが、震災の影響もあって、岩手宮城ともにシロサケの回帰状況は更に厳しいものとなっている。
 仙台を流れる広瀬川や名取川でもこの例に漏れず、この秋はどのような状況にあるのか気掛かりだった。お付き合いのある漁協組合員の方に尋ねたところ、10月中旬現在、回帰した個体数が非常に少なく、増殖に供する親魚が確保できていないとの話だった。
 現在では、種苗生産による過剰な人工放流は個体の小型化や生態系にとってリスクを伴う可能性等々を考慮し、自然産卵できる環境の保全を重要視する動きも始まっている。一方で、そもそも回帰するシロサケの絶対数がこれほど不足しているとなれば、益々もって憂慮する事態が訪れてしまったのだと、思わざるを得ない。サーモンたちの行く末はこの先どうなって行くのか、今後どうしたら良いものかと、思いは巡るのである。


 さて、鮭有効利用釣獲調査という名目でのこの釣りが、将来的にスポーツフィッシングとして更に発展し、もっと多くの釣り人が楽しめるようになって欲しいと思う。そのためにはいつまでも豊かで健康な川であることが必要不可欠だと思う。そうであるとすれば普段でもできること、先ずはもっと水を大切にしていこうと思う。サーモンたちがいなくなり、楽しみとしての釣りどころか、食べることもできなくなっては、あまりにも寂しいことだから。
 日本の川で生まれ北太平洋をその棲み処とするサーモンたち。生き物として謎めいた不思議さを持つと共に、陸と海を繋ぐ担い手として栄養とエネルギーを生態系に循環させる重要な役割もあるとなれば、生命の連鎖という彼らの生き様に壮大なドラマとロマンを感じずにはいられない。サーモンの未来が明るいものであって欲しい。カムバック・サーモン!
 大海原から生まれ故郷を目指し、河口から約120kmもの道のりを遡り、ここ寒河江川に帰ってきたチャムサーモンたちに感謝!出会えてよかった!ありがとう!


THE ESSENCE OF FLY FISHING & THE ESSAY ON FLY FISHING vol.141/ T.TAKEDA

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