エッセンス オブ フライ フィッシング & エッセイ オン フライ フィッシング    vol.143 証のパーマーク/竹田 正

2024年05月17日(金)

仙台東インター店


 釣行の前日までに確認していた気象情報では、その翌日の朝方から昼にかけて雨が降るという予報が出ていた。それらによると、少しばかり雨は降り過ぎとなりそうな気配があり、これが少々気掛かりではあったのだが、久し振りに「あの流れで大物狙いに打ってつけ」となる予感がしていた。さらには「咲き誇る桜並木と共にサクラマスを手にする」という妄想までもが膨らんできた。幾つもの望む条件が絶妙に揃うなど、それは実に稀なことであり、今回の釣行は数年に一度の機会に恵まれるのではないかと思われた。これほど本気になってサクラマスと対峙しようと思えたのは久しぶりのことだった。
 このところの川は雪代により増水気味であった。思うがままにフライを流したいと思える「あの流れ」が、ついに出来つつあると思われた。このタイミングでの雨が更なる呼び水となるかもしれない。あれやこれやと様々なイメージが脳裏を駆け巡り、それらは次から次へと、ふつふつと勝手に湧き上がってくるのだった。
「あぁ、きっと待ち望んでいた時が来る」
 その期待感が後押しとなって居ても立ってもいられなかった。そそくさと道具の準備を始め、ついつい車を走らせてしまったのである。
 ところが、数年ぶりに湧き起こったその熱い思いに、まるで冷や水をかけるような非情な現実が待ち構えていたのだった、と言ってしまえば少々大袈裟になるだろう。何のことは無い、それはままあること。考えていた以上に、激しい雨が降り注いでしまった、ただそれだけである。

 僅かばかりの可能性に一縷の望みを賭けて川へと向かう道中、その期待とは裏腹となる嫌な予兆を感じていた。フロントガラスを叩く雨音が聞こえ始めた。
「まずいかな。これは……」
 己の予測が甘かったと言えばそれ、賭けに外れたと言ってしまえば、またそのとおりなのだが、すでに結果が見えてしまいそうな雨が降り始めていた。暫くすると見る間に雨脚は強まり、ワイパーの動きを一段上げジャカジャカと忙しく動かす始末であった。
 認めたくはない現実、それを確かめるように、川に辿り着くなり目当てにしていた流れを覗き込んだ。支流に降り注いだ雨をも集め、目指していた本流は想像以上に膨らみ始めていた。
「あ~あ、やっぱ降り過ぎだ!ついに来たチャンスが来たかと思ったのだけれど……。桜の雰囲気はとても良かったのに、残念!」
 その流れの傍では今にも満開となりそうな桜が雨に濡れそぼり、艶やかな春の佇まいを感じさせていたのだが、思うように竿を出せる状況ではないことは一目瞭然だった。この数日後に待ち望んでいたチャンスが訪れるであろうことは想像に難くなかったが、それに合わせて改めて訪れることは叶わない。もし、この低気圧の訪れが2~3日早いか、せめてあと1日遅かったら……、例えるなら、まるで子供の頃、楽しみにしていた運動会か遊園地、何かが雨で順延となってしまったような、何ともやるせなく、がっかりという心持であった。

 何事も手前の思惑どおりにはいかないもので、増して天候ばかりは致し方ないのである。このような廻りあわせは過去にも幾らでもあった。何れにせよ、良い日だけを選んで川に立てるのであれば上等なのだが、そうはいかないのが現実である。初日の釣りは潔く諦めるほかなく、翌日も釣りができるかどうか、それは怪しいものだった。
「まだ希望はある。きっと明日になれば少しは水が落ち着くだろう。そうなれば、良い流れを探し当てるまで高水の本流を彷徨うか、それとも支流に釣り場を探すか、二つに一つ」
そう心に決め、その判断は翌朝の水の具合を見るまでは持ち越しとした――。


 
ヒュー!気分爽快!昨日の気分は何のその。雨上がりの空気はとても澄んでいて気持ちの良いものだった。朝方は1℃くらいまで気温が下がっていたのだが、里の山にも桜前線が訪れつつある様子が見て取れた。スッキリと晴れ渡った空を背景にほころび始めた桜の花、その隣には満開となっていた梅の花。昨日の憂さが晴れるとは、このことか。チュチュチュル、チュリュチュル、チュン!メジロたちも忙しなくも軽快なリズムで囀っていた。


 急激に発達したらしい低気圧は、すでに遥か東の海上へと足早に過ぎ去って行った。通り過ぎた雨と風は花粉や黄砂を運び去ってくれたようで、翌朝は目に眩しいほどに透き通った青空が広がっていた。
 現状を確認するために川を覗いてみると、当然の高水で流れも速かった。ところが、これまでに雪代が出ていたおかげだろうか、特に濁りは感じられず良い水色だった。つまり、フライを流すために塩梅の良い流れさえ見つけられれば、取りあえずは釣りになりそうな雰囲気だったのだ。とは言えこの高水と流速、本流筋では立ち位置の確保が困難になるとも思えた。岸際の草は水を被っており、キャスティングもままならないだろう。キャスティングのバックスペースを得るため少しばかり流れに立ち込んだところで大差がない。万が一のこと、強い水押しに足元をすくわれ体ごと流されてしまっては大事に至る。まだ水は冷たいのだ。水は恐れず流れを侮るべからず。今回のチャンスは微妙であり無理することなく予定を変更して、上流の支流域へと向かうことにした。
 支流に入れば増水時でも釣りになるであろう淵、それに堰堤や滝もある。今だからこそ塩梅の良い流速の瀬ができているかもしれない……、幾つかのイメージが思い浮かんできた。良さそうな所、気になる所を訪ね歩き、気楽に気ままにちょいと竿を出して、春の訪れを確かめてみることにした。



ちょいちょいとあちらこちらで川を覗き込み、辿り着いたのは普段よりも荒々しさを感じる滝の流れ。増水時はニンフの釣りが定石である。ニンフで試すのは当たり前として、普段より深く暗くなっているであろう淵である。煌めきに魚が鋭い反応を示してくれることを期待して、手始めにティペットに結んだのはフラッシュバックのヘアズイヤーニンフ。

  

白泡が流れ来る筋にフラッシュバックのニンフを流してみると、あれよと言う間にツンッと目印が引き込まれた。よかった、いてくれた!やってきたヤマメは食欲旺盛で小さな体ながらニンフをがっぷりと咥え込んでいた。体側には可愛らしく「パーマーク」が並ぶ。パーマークとは、カラフトマスを除くサケ科魚類の稚魚から幼魚期に見られる体側の小判型の斑紋を指すが、それは成長に伴い消失してしまうのである。しかし、渓流に棲むヤマメにはそれが当てはまらないのだ。特に大きく育った場合などの例外を除き、そのほとんどが成魚となってもパーマークを失うことがない。大人になると消えたり、大人になっても残っていたり、パーマークには不思議な魅力がある。


 
続いて落ち着いた雰囲気のヤマメがやってきた。パーマークは7個。続けざまにイワナもやってきた。このイワナは細やかで数が多い背部白斑を纏った「星空君」だった。パーマークは11個。イワナもパーマークを持っているが、成長するにつれそれは不鮮明となり、やがて消失する。釣り人に馴染みの深いニジマスにも幼魚期にはパーマークがある。ヤマメもイワナも日本の渓流魚を代表する魚ではあるのだが、このことからもやはり、ヤマメにとってパーマークがヤマメらしさを表現している、と言ってもそれは過言ではないと思う。


岩盤の際ぎりぎりに定位し、流れ来るエサを待ち構えていたヤマメ。どうやら雨の影響か、皆が食べたがっていた様子。乱れのないパーマークは7個で良い感じ。パーマークの存在はヤマメが仲間を認識したり個体識別をしたり、あるいは敵の目を欺くなどの擬態に役立っているのではないか?と様々に考えられているが、実際のところ何の役割を担っているのか解明されてはいない。

 
ワサビは花芽を付け、シャクは新芽を付けていた。頃合いの良いところを一握り、摘んできた。つまり、私も食べたがっていた。香しい、春の味覚。ほんのひと時しか味わえない、この季節感がここにあった。


ニンフは口先にちょんと浅掛かり。サビはすっかり抜けているものの、まだ少し痩せ気味かな?腹いっぱい食べて早く大きくなっておくれ!気になるパーマークは8個。


心躍るパーマーク!嬉しいヤマメがやってきた。パーマークの数が6個というヤマメは時々見かけるのだが、それでも思いのほか出会えないのである。一方で、パーマークが10個、あるいはそれ以上もあるヤマメと出くわすこともある。さすがにその数でパーマークが並んでしまうと、それはまるで縞々模様に見え始めるのだ。経験的に言って、私が釣り歩く渓流のヤマメは7~9個のパーマークを持っていることが多い。しかし、5個というヤマメには今まで出くわしたことは無い。パーマークが5個というヤマメはいるのだろうか?

 
6個のパーマークを持つヤマメは白泡が切れ水面がざわつく流れに定位し、流れ来るエサを待っていた。

 
 
次にやって来たヤマメはなかなかに興味深い魚体だった。左右側面共にパーマークが6個。しかもそれだけにとどまらない。どこを見ても背部黒点が見当たらないのである。さらには何と言うか、ぬめっとした独特の雰囲気を醸していた。私にとってイワナはかなり興味深い存在だが、ヤマメもイワナ同様に1尾1尾、それぞれに個性があり相当に面白い存在なのである。

 
体は小さいながらも、背が張って野性味が感じられる端整な容姿。私にとって凛としたヤマメのイメージはこのような感じ。水を切って泳ぐための筋肉質でキレを感じる体躯もその要因として大切だが、ヤマメの姿に心打たれる美しさを感じるのはやはり、パーマークのお蔭だろう。このヤマメ、パーマークの数は標準的とも言える8個(もし、このパーマークが6個だったら感極まるだろう……、と言うのはこの際、無しにしよう)。体側に並んだパーマークの下側腹部には波打つような配列で小斑が並んでいる。それらはなんとも可愛らしくも美しい。その小斑、見方によっては笑い顔が並んでいるようにも見えてくる。いいね~、眺めているとほんわかした気分になる、ホント良いヤマメだ。たくさん食べてぐんぐん大きくなれ!もう釣られるなよ!秋にはたくさんの子孫を残しておくれ!


 今回の釣行は残念ながら降り過ぎた雨のため、当初に目的としていた本流のサクラマス狙いは兎にも角にも叶わず、増していつものように沢を遡行することもできなかった。それでも、見つけた場所で「ちょい釣り」を試してみると、サビも抜けすっかりと春の装いとなった元気なヤマメたちを確かめることはできた。おまけに、6個のパーマークを持つヤマメに出会えたこと、これは格別の出来事だったことを記しておきたい。

 さて、ヤマメは勿論の事川辺の草木を見ていると、待ちかねていた新しい春がついにやってきたと実感できた。これから山の景色はあっという間に萌木色となり、やがて新緑に包まれた川は生命感に溢れるようになる。いよいよ本格的な川歩きを楽しむ季節の到来である!自然に感謝!ありがとう!



THE ESSENCE OF FLY FISHING & THE ESSAY ON FLY FISHING vol.143/ T.TAKEDA
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