エッセンス オブ フライ フィッシング & エッセイ オン フライ フィッシング    vol.120 源流イワナとかくれんぼ/竹田 正

2021年07月30日(金)

仙台東インター店


 春の渓流釣り解禁以来、時が経つのが早いもので、渓流釣りシーズンもついに折り返し地点を過ぎてしまった。この時期になると、今のうちに心おきなく渓を歩いておきたい、毎年そう思うのである。
 五月以降、六月に入ってもまとまった雨が降ることが無い日々が続き、今年は空梅雨になりそうだと感じていた。夏至を過ぎる頃、ようやくの梅雨入りとなった。しかしながら、期待するほどの雨が降ることは無かった。結果、渓流の渇水は相変わらず続いていた。
 今回のスケジュールは三日間、そのうち二日目は雨天になりそうな予報が出ていた。程良い雨がもたらす恩恵に与ることが出来れば、二日目か三日目にチャンスが訪れるとの読みだった。
 沢に辿り着いて見ると、源流域の流れはいかにもか細く、大人しいものだった。午後の入渓のため水温はすでに上昇しており、14℃と少し高めだが適水温の範囲であった。
 状況が良ければ遡行開始とともに釣れてくることが多いのだが、暫くはイワナからのこれといった反応が無かった。やはり渇水の影響が大きいらしい。目立つハッチも無いためか、積極的にエサを取るための定位置に定位するイワナの姿が見えないのである。どうやらイワナは外敵から逃れるため、何処かの物影に潜り込んでいるようだった。
 樹木に囲まれた源流の沢では接近戦になることが多く、イワナにこちらの気配を気取られることの無いようにポイントに近づく必要がある。自身が思う以上に、出来るだけゆっくりと、そうっと、動く。もちろん足音にも気を配るのである。これをストーキングという。イワナが神経質になっている渇水時となれば尚のこと、このストーキングは重要度を増してくるのである。



一尾目。岩陰に何度もフライを打ち返して誘い出した。

 一尾目をキャッチしたその後も状況は変わらず、ヒラキに出ているイワナはほぼ皆無だった。いろいろと試しているうちにこの日の釣り方が見えてきた。岩陰やその隙間、あるいは倒木や白泡の下に、イワナが隠れているのは明らかだった。身を隠せる物陰に潜り込んだイワナの視界は狭くなり、水面を流れるドライフライを見つけにくくなってしまう。従って何度もフライを落としたり流したり、時には動かして、その存在に気付かせる必要があるのだ。
 結局、私は樹木や岩石に隠れたり化けたりしながら、何度もフライをキャストして誘いを掛けることになった。釣り上がりのテンポはスローとなるが、これはこれで実に面白い。イワナを相手にした「かくれんぼ」である。


上手くアプローチできればイワナはバシッと威勢よく出てくれた。採餌をしにくい状況だからこそ「見つけたエサは逃さない」ということか。



快晴の空。渓は空気までもが緑光に染まり、時折差しこんでくる木漏れ日がとても眩しく感じられる。



着色斑は無し。頭部、鼻先に至るまでしっかりと斑紋がある個体がとても多い。この沢の特徴である。



「大岩にかくれんぼ」へばりつきながらそっと覗く私。「倒木にかくれんぼ」していたイワナ。イワナの頭の先がちらりと見えた。込み入った枝をかわしてフライを届けると、勢い良く、ぎゃぼっ!

 せっせと沢を詰め上がっていくと、やがて大きな岩がごろごろの景色になってきた。水流は大岩の隙を縫って流れ落ちている。釣るべきポイントが一気に減ってきた。フライを流すところは無くなり、まるで穴釣りのようになってしまうのだ。このような流れでもイワナは逞しく生息しており、頼もしく思う。


 時刻は16時を過ぎていた。見上げる空は未だに明るい。その一方、周囲の景色は暗くなり始めていた。渓は日没を待たずに暗くなる。そろそろ竿を畳むべき頃合い。


 翌日は予報通り、早朝から雨だった。入渓するのは少し待ち、様子を窺ってからにしようと決め込んだ。優しい雨音に誘われて、うとうと。何時の間にか眠りに落ちてしまった。
 叩きつける雨音で、ふと眠りから引き戻された。すでに昼を過ぎていた。まるで夕立のように時折大粒の雨が激しく降ってくるようになっていた。どう見ても予報より降水量が多く感じられた。沢の様子が気になり覗きに行ってみると、渇水だった水嵩は平水以上に上がり始めていた。気安く渓に入らなくて良かった、という結果である。
 それからというもの、特に何かをするでもない。時計を気にすることも無く、ゆったりとした時間を過ごすだけである。良く食べ良く飲んで、しっかり寝て。珍しく釣りもしない休日となった。要は翌日に備え、前日までの疲れを癒す。川もイワナも逃げることは無い。待つ他ないのである。
 幸いなことに、夕刻を待たずに雨足は弱まってきた。水嵩は増水のピークを迎えているようだった。大した濁りは感じられないものの、清澄だった流れは琥珀色に染まっていた。天から山へと降り注いだ雨水は山に蓄えられた養分を溶かし出し、一気に沢へと流れ込んでいるのだ。豊かにミネラルを含んだ琥珀色の水はこの後海へと注ぎ込み、その生態系に溶け込んでいくことだろう。やはり山河は海の生き物を育んでいるのだ。


 三日目の早朝、思いが通じたのか、空はスッキリと晴れていた。少し心配だった水嵩もすでに平水に戻っていた。増水からの引き水、良い釣りが出来る予感がした。計らずもたっぷりと休養したお陰で、体もスッキリと軽く冴えた感じがする。やたらに腹も減っており、朝食もしっかりと取った。元気回復、準備万端という感じの朝であった。
 初日には釣り上がっていない区間へ向けて出発。暫くは山歩きを楽しみつつ頃合いを見て入渓した。遡行開始直後、ラインを繰り出す予備キャストにも拘らず、すぐにイワナが水面を割って出た。初日とはまるで異なる状況だった。



朝日を浴びて背部斑紋が鮮やかに浮かび上がった。

 いずれのイワナも「かくれんぼ」を止めていた。積極的にエサを捕えるために、ヒラキやカタに堂々と出てきていた。ほぼワンキャストでバシッと喰いつき、フライを飲み込むほどのイワナも多かった。鈎掛かりしたイワナはギュンギュンと狭い流れを走り回るため、時には岩などの隙間に潜られてしまう。そうなるとお迎えの綱引き、結果バレてしまうこともしばしばである。
 期待通り、いやそれ以上に、渋かった状況から一気に好転していたのである。


流れもイワナも皆、活き活きとしていた。白斑が大きめのイワナたち。


星空イメージ、星空君。

 次々とドライフライに出てくるイワナ。遡行を始めてからの一時間足らずで、あっという間にツ抜けしたほどである。イワナ達はよほどお腹が空いているらしい。これまでの渇水状態に加え、昨日の増水もあり、満足に食べていなかったのだろう。
 僅かに狙いが外れ、水面に落ちずにポトリと岩に乗ってしまったフライ、つまりそれはミスキャストだが、イワナは全身を露わにして岩に這い上がり、そのフライにすら間髪いれずに喰らいついてくるのだ。キャストアウトされた空中から落ちてくるフライを、イワナの目はすでに捉えているという事である。
 本来、イワナは貪食、つまり食いしん坊であり、カゲロウなど飛んでいる最中の昆虫ですら、見事に捕食するのである。この事実は、イワナの目、動体視力が優れていることを示している。つまり、岩や樹木に化ける「かくれんぼ」は伊達ではないのだ。



釣りあげたイワナを一尾一尾撮影しながら遡行を続けた。この日はかなりの忙しさ。釣りが雑にならないように心掛けた。


緑光のトンネルを歩く。清冽な渓にて宝探し。ああ、楽しからずや……。



 実質二日間の釣行、幸運なことに沢山のイワナに出合う事が出来た。画像の掲載はしていないが、まるでムハンイワナを連想させるような興味深い個体も釣れてきた。やはり、釣りは謎解き、ロマンなのである。
 シーズンの折り返しを過ぎて、いよいよ後半戦。残された時間が気に掛り始める頃となった。今回、雨が降り過ぎれば三日目の遡行も諦めざるを得なかっただろう。良いタイミングで渓を歩くことが出来た。恵みの雨、山と渓に、イワナに感謝!ありがとう。

  
THE ESSENCE OF FLY FISHING & THE ESSAY ON FLY FISHING vol.120/ T.TAKEDA

← 前記事 vol.119   目次   次記事 vol.121 →
ページトップへ